DRACONIA

澁澤龍彦さんによせて

澁澤本 「Weird Draconia」について
はじめて「澁澤龍彦」に出会ったのは、タイトルに惹かれ何気なく手にとった文庫本「悪魔のいる文学史」(中公文庫・1982年初版)…つまり私のシブサワ歴は20年足らずだ。世のシブサワな人たちに比べると浅いものだが、生前の澁澤さんを5年間だけでも追うことができたのは幸せだと思っている。河出書房から文庫シリーズが出版される直前の時期であり、ハードカバーを探し求めて書店めぐりをしたことも懐かしく思い出される。それでも、所蔵本の大半は河出書房、中央公論社、福武書店などから出版された文庫本であるから、リアルタイム読者であるというのもおこがましい。私がリアルタイムを実感できたのは、澁澤さんの死の直後に文藝春秋から出版された「高丘親王航海記」…作者と主人公の姿を重ねながら胸を熱くして読んだ記憶がある。
また以前から、オカルティズム、シュルレアリスム、ヨーロッパ映画、乱歩や夢野久作などに興味をもっていた私は、異端、暗黒趣味をわかちあえる仲間にようやく出会うことができた!と興奮し、マンディアルグや橘外男などについての評論を読んで、自らの嗜好の門戸を広げることができた!と感謝し、そして著作のイメージを裏切らないニヒリスティックな澁澤さんの姿に、恋人を思うような気持ちも抱き続けている。90年代にはフェミニズム的見地からエロティシズム関連の著作から遠ざかったこともあるが、しかし澁澤さんなくしては、現在の私の趣味、嗜好はありえなかっただろう。

そんな澁澤さんに対する様々な思いを、この「Weird Draconia」に託してみようと思う。いくつかのレビューや死の翌年に拙い言葉で綴った追悼文などは、あえて当時のままにアップさせていただくことにする。また没後13年目にして、幻の雑誌「血と薔薇」を入手することができ、ここで紹介できる喜びもかみしめている。ちなみに、データや研究などは、その道に詳しい方々におまかせすることにして、「Weird Draconia」では純粋に一ファンとしての思いを中心に綴らせていただこうと思う。


澁澤龍彦プロフィール



澁澤龍彦(1928.5.8〜87.8.5) 
小説家、評論家、フランス文学者。本名・龍雄。東京都生まれ。1953(昭和28)年東大卒。
早くから世界文学の新動向に親しみ、とくにシュルレアリスム周辺の書物に没頭した。54年にコクトー『大股びらき』の邦訳を発表し、フランス文学者としてデビュー。55年以降小説も試みていたが、56年『マルキ・ド・サド選集』全3巻の邦訳刊行によって、日本最初のサド研究者と認められる。59年処女評論集『サド復活』を発表。60年には前年に出たサド『悪徳の栄え』続巻の邦訳が「わいせつ」として発禁処分になり、以後ほぼ10年間、「サド裁判」がくりひろげられる(69年最高裁判決・有罪)。
その間、64年『夢の宇宙誌』によってエッセーを思想表現の新形式に高め、いわゆる異端文学・芸術、魔術・隠秘学(オカルティズム)の紹介者として、また過激なユートピア思想や快楽主義の体現者として、若い読者層に大きな影響を及ぼす。
70年『澁澤龍彦集成』全7巻を刊行。だが、74年の『胡桃の中の世界』や77年の『思考の紋章学』のころから、古今東西の文献を材にとる自由なエッセーのスタイルで、新たな自己探求の段階に入る。『唐草物語』(81年)から、死の直前に完成された『高丘親王航海記』(87年、読売文学賞)まで、日本の近代文学に類を見ない小説世界を構築しつづけた。
該博な知識と高度な文章技術に支えられ、特異な「自我」を表現するその多くの著作は、没後もなお多くの読者を獲得しつつある。
『朝日人物事典』(1990年 朝日新聞社刊)より
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