CINEMA FREE TALK JODOROWSKY

ホドロフスキーの愉しみ
対談 いちげさん×ウチノリカさん×ぎずななさん×葉月
ALEXANDRO JODOROWSKY(1930〜)

リカさん
⇒葉月さんからお借りしたホドロフスキー映画3本立て。いやぁ、それはもう濃厚でありました〜。パゾリーニの映画で、私の記憶から抹殺するほど陰惨なものがあったのですが、内心、ホドロフスキーもそうだったらどうしよう…と思っていたのね。でも、ばっちり楽しめました。

ぎずななさん
⇒最高ですよね!私も葉月さんに紹介いただいたんです。「エル・トポ」って最初パッケージ見た時、確か「カルト」とありましたが、普通の西部劇を想定していました。観たらもちろん全然違いました〜(笑)

いちげさん
⇒ハッキリ言って私はこういうの好きです(笑)監督は全然知らないんですが、60年代の方でしょうか?出てくるイメージがすごいっつーか、とても新鮮に感じたもので。特に「ホーリーマウンテン」!

葉月
⇒監督については私も詳しく知らないんですが、日本で公開されたのはこの3作品だけのようです。(詳しくはホドロフスキー監督のページ

カルさん
⇒私はホドロフスキー作品見たことないんです。どういう映画なんですか?

リカさん
⇒「エル・トポ」は以前に観てるんですよ。そのときは話もよくわからなかったし興味もわかなかったのだけど、今回再見したら意外や楽しめました。ちょっと長いけど物語を紹介しますね。
父が7歳の息子に、オモチャと母の写真を捨てさせるシーンからはじまるんだけど、大人になることを拒否する、今の私も含めたオタクな若者たちと大違いのエピソード(笑)。物語は前半と後半で内容がガラリと変わるので、最初観たときはまったくもって理解できなかった。前半は西部劇風「子連れ狼」から真の強者をめざす話。後半はフリークスをめぐる弱者を救う者として、生まれ変わった男の物語。

カルさん
⇒おもしろそうですね〜。それから?

リカさん
⇒主人公の男は、同伴していた幼い息子を捨て、代わりに一緒に旅することになった女に「4人のマスターを倒し、世界で一番強い者になって欲しい」と言われるんだよね。男は自分のことを「神」と称し、無敵の銃使いとなる。でも達人たちに出会ううちに揺れ動くの。全盲の達人、占いやら予言する達人、おそらく東洋思想とか自然主義とか、いろいろ意味づけできそうなマスターを相手に、真の実力でなく小ずるいトリックで次々倒していくんだよね。最後の達人である老人が息をひきとった後、主人公の彼は苦悩し、あっさり身近な者に殺されてしまうの。
主人公が殺され映画も終わりかと思ったら、なんと主人公は姿を変えて転生されてるからびっくり。地底に住まう哀しきフリークスたちの街で目覚めた彼が、フリークスたちを全員地上に出してあげるために、退廃の街で小人の女と大道芸を披露して地道にお金をかせぐの。街は人身売買がまかりとおっていて、醜く太った金持ちのおばさん集団が強い権力をもっているんだけど、物語は最後にいたるまで、血なまぐさく凄惨なシーンが続くのね。はしょったけど、まあこんな感じのお話なんですよ。

いちげさん
⇒確かに、前半と後半のギャップが不思議な感じ。でも先日見返して、この主人公って実は苦しんでいたのかもしれない…と思いました。苦しいとか哀しいとか感情を思わせるセリフが一言もないんだけど、いきなり聖書の言葉らしきものがでてきたりして心情吐露してるの見たら、そんな気がしました。だから別人のような後半生はやっと道を見い出したみたいな感じかと…無理矢理こじつけてるようですが。でもそのトンネル掘りも徒な結果に終わってしまう…結局苦しみは変わらない。そもそも事の起りは途中でついてきた「女」に始まってるような気がしますねぇ。流血と殺戮を欲する女性とでもいうか、「運命の女」なのでしょうか。後半の小人の女性との愛はほのぼのと暖かくてよかったですが。「サンタ・サングレ(聖なる血)」の母親も流血と殺戮っていう意味では似てるなーと思いました。なんか女性に偏見があるんでしょうか?この監督さん(笑)

カルさん
⇒何だか不思議な世界ですねぇ。

リカさん
⇒そう、全編通じて寓話的。神話的でもある。父と息子の確執あり上昇志向の末路ありで、世界のカオスに生きることの苦しさ、つらさが織り込まれているんですね。そうそう、いちげさんが言うように、私も「この監督、なんか女に恨みでもあるんかいな」と思いましたよ。

ぎずななさん
⇒そっか、そういう見方も出来ますね〜。
私も監督さんのことよく知りませんが、ユダヤ人とのことですね?それだけで「カバラ」な世界に生きてそうだなぁって。聖書とは切り離せない人生を送られての反動(笑)があるのかなぁ?とか何とか。いえ、聖書をまともに読んだことがないのに失言でした〜(^^;)

葉月
⇒女性への偏見…どうなんでしょう。トラウマや何か象徴的なものがあるのかもしれないけど、恨み、偏見という以前に、モチーフの一つなのかなぁという気もします。登場する宗教的なイメージも、禅っぽい雰囲気なんかも感じられたので、彼個人の宗教観というのとは別物なのかも。

いちげさん
⇒宗教観といえば、前半の達人たちのエピソードがとてもテツガク的でマニアックですね。主人公のあまりに卑怯な勝ち方は言葉もないっす(^^;)最後の銃さえ持たない達人、自分の命にさえ頓着しない…で死んじゃうところとか、非常に印象的でした。女性二人との三角関係も興味深かったし、女性二人で去っていくのも意表をつく展開という感じでよかった。あの二人はとってもお似合いだわ〜(^^;)
あと動物の顔みたいな導入タイトルイメージが妙に新鮮だったことと、二番目の達人が撃たれた際、駆け寄る女性の鳴き声が動物の声だったのが印象的でした。うまく説明できないけど、生理的に胸に迫ってくる感じでした。

葉月
⇒うんうん。「生理的に」というのはホドロフスキーの一つの魅力ではないかと思います。理屈ではないですよね。「カルト視されている『エル・トポ』だが、はったりとこけおどしの好きなメキシコではあれは普通の作りなのではないか」って、どこかで読んだおぼえがあります。

カルさん
⇒理屈で観る映画ではないんですね。では「ホーリーマウンテン」は?聖なる山を目指す物語?

リカさん
⇒ではここで、「ホーリーマウンテン」のストーリー紹介を少しばかり。
まず高くそびえる赤い塔が映し出され、その建物のなかには錬金術の部屋が出てくるのね。葉月さんのルーツがここにあるのかしら(笑)



葉月
⇒否定は出来ません(笑)

リカさん
⇒それからなんと、糞から黄金を産み出す、ようわからん装置があったり、マスターのような人が、キリスト似の主人公とおぼしき男に教えを与えてるの。部屋の中はタロット、ハスの花のデザイン、三角、円、様々な抽象的な形が散乱してて、サイケでいてどこか東洋思想かぶれといえなくもないセンスなのね。やっぱりそういった時代なんだろうなあ。もちろん視覚的撹乱、内側にひそむ感情を発露させるための仕掛けを狙ってるともいえるかな。その赤い塔にはさまざまな人が集まってるの。かつて世の権勢をほこり成功し好き勝手に生きてきた人たちを、かなりカリカチュアライズして描写してるんだよね。
ある工場主は、人間の外観を装い整え形づくる仕事をしていて、かたや工場内の女たちとよりどりみどりセックスしまくってる。またある人は兵器製造者兼アート工房の主で、尻スタンプなんてものや性器露出の人体アートなんてのもつくっている。なかでも電子棒で機械のワギナをイカせるのが凄いの!射精つきで、機械の赤ん坊までできてしまうのが笑えるんだよね。全編ボカシが多くて怒りながら見ましたけど。見世物ピエロの女が、実は戦争玩具をつくっている中心人物だったり、ケバくて精力絶倫のおばさんと同居してる男は、財政顧問官として人口調節を指導してたりね。男の局部をチョン切って1000個コレクションしている警視総監や、自由人になるためにカンオケのねぐらを提唱する男なんてね、もう曲者、というかヘンタイばかり出てくるの。
それでそんな彼らがマスターのもと、「聖なる山」伝説の賢者の知る不死の秘密を得るために、これまでの所有物を放棄し、ひいては自我を捨て旅に出る…ってな展開なんですね。

カルさん
⇒なんか(める)ヘンな話ですねぇ(笑)

いちげさん
⇒「エル・トポ」より鮮明な血と暴力と死と悪趣味のイメージが圧倒的でした〜。とにかく意表をつく鮮烈なイメージのオンパレード。悪趣味といえば悪趣味でもあり、殺戮の場面などは非常にどぎついんですが、嫌悪感を抱くことはなかったですね。皮肉、諷刺…それらを含めた「憎悪」みたいなものを感じました。赤い塔に登ってからのシーンはサイケな感じ(笑)がもうどうにも60年代を感じさせます。東洋的な瞑想イメージ…特にインド的なもの?とか。リカさんが紹介してくれましたけど、共に聖なる山を目指すメンバーひとり一人のキャラ説明がとても面白かったです。

リカさん
⇒山を目指すへんからトリップ幻覚映画の本領ともいうべき世界に入るんですね。ほとんど抽象的な旅路。死の儀式を経て再生し、宇宙と一体化するような過程を経るとこなんか、ひと頃のヒッピー・ムーブメントと共通するような匂いすら感じる。生命の源である海を渡り、心のモンスター(過去)を捨て去り、ようやく島にたどり着く。島での様々な誘惑に負けることなく、ホーリーマウンテンを登りきる彼ら…。
 
いちげさん
⇒唐突ですが(笑)しりあがり寿のマンガ「真夜中の弥次さん喜多さん」「弥次喜多 IN DEEP」には悪夢のイメージとかいろいろあるんですが、とても近しいものを感じました〜。前半部特に。

葉月
⇒しりあがりさんの作品には映画の幻覚シーンをホーフツとさせる部分が多いですね。弥次喜多もロード・ムービ―ですもんね(笑)

いちげさん
⇒彼の引っ掻いたようなペンタッチも含めて非常に好きです。
さて「ホーリーマウンテン」に戻って…ラストの展開はよくわかんなかったですが?

ぎずななさん
⇒私はここに壮大な愛、を感じてしまっていました。うまく言えませんが、監督が言いたかったことって、暴力とかは実際は些末なことで、グルを通じて主人公に人間としてまっとうな人生を送りなさい、ということだったのかなぁって感じがしました。とにかく、すごく単純で大切なことを言ってるような気がしたので内心拍手喝采でした。 

リカさん
⇒オチは、ひと頃の寺山修司が、劇場のステージに立つ者と観客席との垣根を打ち破ろうとした運動にも似たものがあり、やや懐かしく思いました。つまり虚構であり幻想である「我々」は、映画に出演してるだけなんだよ…とバラして、ジ・エンド。寓話の世界、神話の世界、まるで「天路歴程」のごとき魂の彷徨のすえ、最後には「現実へ戻れ!」というわけですね。

葉月
⇒ラスト、私はフェリーニの「8 1/2」を連想しました。洪水のようなイメージに翻弄されて混乱してしまいがちな作品なんですが、ぎずななさんのおっしゃるように、実はシンプルなメッセージだけなのかな…という気もしますね。いや、メッセージを伝えるというおこがましさみたいなものも実はないのかも。でも、私たちにこれだけ自由に想像させてくれるだけでも凄いと思います。

カルさん
⇒「サンタ・サングレ(聖なる血)」については、葉月さんのレビューを読ませてもらいましたけど。(レビュー「聖なる血」

いちげさん
⇒この作品が一番印象深かったです。ちょっと少女マンガにも通じる展開で、テーマも興味深いし他の二作品よりはるかにわかりやすいです(笑)主人公フェニックスも私好みで美しいと思いました。クレジットでは同じホドロフスキー名でしたが息子さんとか?

葉月
⇒主人公を演じるアクセル・ホドロフスキーは監督の実の息子さんです。「エル・トポ」の大五郎(笑)いやブロンティスも息子さん。そして先の2作品の主役は監督自身なんですね。現在のポートレイトとはイメージが違いますけど。

リカさん
⇒フェニックスの舞台顔が、チューブウエイ・アーミーのゲイリー・ニューマンに似ていた(笑)

葉月
⇒施設の部屋のフェニックスはアラン・パーカー監督「バーディー」を連想した(笑)

いちげさん
⇒父親もどぎつくて強烈な方なんですが、やっぱり一番すごいのは母親ですね。狂信的なところとか支配的なところ、主人公に強く影を落としたのでしょうねぇ。最初施設の窓の外に両腕のない母親が立っていた場面、すごく印象に残りました。えらく怖かった(T-T)母親の腕となって舞台で演じてるシーンは大変おもしろかったです。「制服の処女」も〜(^^;)あとピアノをひく場面とか一緒に眠ってる場面、編みものしてる(^^;)場面、なかなかアブない感じがよかったです。非常にセクシュアルな女性への憎悪…そのまま母親の憎悪なんでしょうが。
話は全然違うんだけど支配的な母親というので山岸凉子さんの「スピンクス」を思い出してしまいました。息子を食い尽くす程の母親ってのはやっぱりすごいです。息子の妄想の中で母親は殺人を命じ続ける、その葛藤が彼をどんどん消耗させていく…。

葉月
⇒「エル・トポ」もですが、血を分けた親子の確執をえぐるという点で山岸凉子さんと似てるかも。凄まじいけど美しい映像で描写するというのも似てますし。

リカさん
⇒私も3本の中ではこれが一番好きかな。凶々しい物語なのに、どこか美しい瞬間をもった映画。これまでの作品の、どこか教条的な面が奥にひそみ、ホラーな味つけで母の怨恨を中心に物語が展開していくので、観るほうも感情移入しやすく、映画としての完成度も高いような気がしましたし。でも葉月さんのレビューに「実話」とあって驚き。にわかには信じがたいけど、モチーフとなるような事件はあったんでしょうね。しかし、それにしても生々しい…。

葉月
⇒劇場用パンフレットに書いてあったんだけど、メキシコで30人もの女性を殺し庭に埋めていたという分裂症の人物に取材したらしい。その人は現在は退院し作家として活躍中とか。何かコワイ、「活躍してる」ってのが(^^;)

ぎずななさん
⇒日本でも多分何人もいらっしゃいますよね?もちろん当人はもう犯罪をする可能性が一般人と変わらないのかもしれませんが、心情的には怖いですね。といっても人権問題を考えると殺人者だって人権が無論あるしで難しいですね。

いちげさん
⇒しかしこの監督さんのベースになっているのは一体なんなのでしょうか?宗教的な…特にキリスト教的?イメージがあらゆるところに見られたり、逆に宗教的タブーを全部冒してみたり(^^;)、聖と俗が融合したスキャンダラスな世界。観念的で哲学的、ストーリーよりイメージで見せる作品だと思いますが、ある意味では非常に娯楽的でさえあるといえるような。時代に対する強烈な諷刺なんかもあるのかなと思えます。ただ「サンタ・サングレ(聖なる血)」だけは全然時代が感じられないというか、70年代とも80年代とも90年代ともいえる雰囲気がありましたが。他の作品も拝見してみたいですね。

葉月
⇒劇場未公開作品がいくつかあるんですが(詳しくはホドロフスキー監督のページ)残念ながら私もこの3作品しか観ていないのです(^^;)とらえどころがないうえに、なんだかすっごく深読みしたくなるタイプの監督ですが、いちげさんのおっしゃる「非常に娯楽的」というのは重要だと思います。ラテン・アメリカ独特のシュールな趣きが生来の見世物師的気質にあっていたのでしょうね。難解なのではなく、型にとらわれない自由な発想といえるのかもしれません。

いちげさん
⇒「映像で観客を負傷させたい」というホドロフスキーの言葉はかっこいいですね。攻撃的であればあるほどに、監督自身もたぶん傷ついていかなければならないのではないか?とも思います。ラテンな情熱とか狂気とかいいかげんさ(笑)というのは、必要とされる土壌があったのでしょうねぇ。ラテンな世界はほとんど知らないのですが、葉月さんのレビューを読んでいて、なかなかおもしろそうだと思いました。「エル・トポ」にロシアンルーレットみたいのを教会でやるシーンがありましたが、ああゆうのにも独特のユーモアを感じました。イカサマなのに、みんな承知してて熱狂するみたいな。娯楽に一番重きを置くみたいな。そういうのをラテンのノリと言ってしまうのは偏見でしょうか?

カルさん
⇒娯楽的…そしてラテンのノリですか。葉月さんのレビューにも「ラテン・アメリカの現実そのものがシュール」みたいな記述がありましたよね。「ホドロフスキーの愉しみ」は何も考えないで観る。これがコツみたいですね(笑)

葉月
⇒「娯楽的」で感じたんですけど、「エル・トポ」はゲームソフトにしてもおもしろいだろうなと(笑)

ぎずななさん
⇒映画シーンも盛り込んだRPG、またはADVなんてあったらやりそうです!(笑)

リカさん
⇒「ホーリーマウンテン」もゲームになりそう。当然18禁だよね(笑)でもってやはりマルチ・エンディングにして、選択を誤るとやたら「ジ・エンド」を頻発しちゃうの。ストレスたまりそうじゃ〜!

 
by  いちげ + ウチノリカ + ぎずなな + 葉月
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