CINEMA DIRECTOR JODOROWSKY


Review   聖なる血

聖なる血



 ラテン・アメリカの狂気じみた見世物や祭り、迷信や呪術、夢と現実の境目が定まらない中世人的な美しさと哀しさ・・・
SANTA SANGRE (1989)
上映時間 122分
製作国 イタリア
初公開年月 1990年1月
監督 アレハンドロ・ホドロフスキー
出演 アクセル・ホドロフスキー
ブランカ・グエッラ

STORY

これは、サーカスの団長でナイフ投げの名手オルゴ、その妻ブランコ乗りのコンチャ、そして息子フェニックスの奇妙な物語である。オルゴは、いつもサディスティックでセクシュアルな関係を欲している。コンチャは、幼い頃に強姦されたうえ両腕を切り落とされ「聖なる血」を流した乙女の像を狂信的に崇拝する教団に入っている。フェニックスは、繊細で感受性の強い少年。父親の浮気相手である刺青の女が連れている聾唖の少女アルマと心を通わせている。ある夜、オルゴの浮気現場をおさえたコンチャは彼の陰部に硫酸をかけ、激怒したオルゴは彼女の両腕をナイフで切り落とし、自らも喉をかき切ってしまう。一部始終を目撃していたフェニックスは、精神を病み施設に収容される。やがて成長し施設を出たフェニックスは母親と再会、親子の奇妙な一心同体芸で、フリークス・ショーの人気者となる。その裏で狂気の母親の意のままに、おぞましい殺人を夢遊病のように犯してゆく・・・



カルト・ムービーの祖ともいわれるアレハンドロ・ホドロフスキー。彼の映像にふれるとなぜか胸をえぐられたような気分になる。アンディ・ウォーホール、ジョン・レノンら多くのアーティストたちを震撼させたということで話題を呼び、製作から10年後、ようやく一般公開にこぎつけた67年製作の「エル・トポ」は、砂漠で次々に起こる異様な出来事に、禅の思想やフリークスたちが交錯する。73年の「ホーリー・マウンテン」では、より実験的な映像が繰り広げられ、フェリーニの世界に通ずるような、ヨーロッパ風のエキセントリックな美と、ラテン・アメリカの寓話のような現実におけるグロテスクな美がうまく融合されていて、前作より濃く、華やかな印象を受ける。 しかし映画らしい作品といえば、89年の「サンタ・サングレ(聖なる血)」であろう。それもそのはずで、ホドロフスキーはこの作品で初めて「観客にみられることを意識した」というのだ。私は、前2作がとても気に入っていたし、前売券の「邪悪な悪魔の血でさえも天使の瞬間を思い浮かべる美しい瞬間がある」といったワケのわからないコピーにもあおられて、すさまじい意気込みで劇場に足を運んだ記憶がある。



パノラミックな地獄絵図ともいうべき意匠をこらした圧倒的な映像美はもちろんであるが、この作品が実話に基づいて製作されたという事実は特筆すべきである。「これが実話だなんて」と首をかしげてしまう反面、「ラテン・アメリカなんだから」と納得してしまえるところもある。シュルレアリスムがラテン・アメリカに根付いたのか、驚異を超えた幻想的な現実がシュルレアリスムだったのか、どちらにしても、この土地には超現実的な芸術があふれている。ノーベル文学賞をうけた
マルケスをはじめとして、カルペンティエルアストリアスといった魔術的リアリズム、幻想文学ファンにはおなじみのボルヘス、映画「蜘蛛女のキス」で有名になったプイグなどの文学諸作品。サド作品の挿し絵などで有名な魔女の筆とも呼ばれるレオノール・フィニー、最近は日本でも人気の高いフリーダ・リベラレメディオス・バーロもメキシコの画家である。またシュールな作風のブニュエルの初期作品「昇天峠」「スサーナ」などは、メキシコ映画である。ブルトンをはじめとする当時のシュルレアリストたちが、ラテン・アメリカの芸術家たちと交流するために、この地を訪れていたので自然の流れだったのかもしれない。

 たとえば、ある一族の歴史を書き綴ったマルケスの代表作、
「百年の孤独」の随所には幻想的な挿話がちりばめられているのだが、この豊かなイメージはまったくの創作ではないらしい。「少女が白いシーツにくるまって昇天する」という幻想的なシーンも、地元の人々によると、そんな光景は珍しいことでもないという。女性が香水をつけて川岸を歩くと、匂いにひきつけられて無数の蝶が女体に群がり、その様子を遠くから眺めると上の描写のように見えるらしい。また、別の作品に、「血のように赤い道」の描写が出てくるが、これは無数の蟹に埋め尽くされた、ラテン・アメリカではそう珍しくもない道の光景であるという。錬金術といった非科学的な要素もまた、ジプシーや森の中で生活する人々の現実なのだろう。



「サンタ・サングレ(聖なる血)」の世界もまた、猟奇的な殺人を繰り返した若者の現実である。ホドロフスキーは、この現実を通して、ラテン・アメリカの狂気じみた見世物や祭り、迷信や呪術など、夢と現実の境目が定まらない中世人的な美しさと哀しさを、見事に描き出した。彼は「映像で観客を負傷させたい」と語っている。私は、彼の映像にふれると、胸をえぐられたような気分になる。心底疲れはててしまう。けれどもすぐに、そんな気分がなつかしくなって彼の映像にふれてしまうのだ。

(1989年脱稿)

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