VAMP NECROPHILIA ANOTHER SEXUALITY
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同性愛マンガ


同性愛作品愛読家のいちげさん


順位 作品名 作家名 発表年と収録本 コメント
「日出処の天子」 山岸凉子 1980〜1984年
(白泉社文庫「日出処の天子」)他
厩戸王子の毛人への思いは、読んでいて胸の痛むような激しく切ないものでありました。受け入れられない思いは一体どこへ行くのだろうか?それはどこへもいかない。深く潜行し自らの裡で浄化されるしかない。厩戸王子のその後の人生は、深い絶望と虚無の中から見いだした自分自身との長い長い対話であったような気がします。それは静かな、祈りの姿に似ていたかも知れません。(勝手にその後ストーリー作ってすみません(-""-;)
「七月七日に」 大島弓子 1976年
(朝日ソノラマ選集「全て緑になる日まで」)他
出征した父と一度も共に暮らすことなく、後添いとして家にやってきた母のこの世ならざる不思議さ。少女が見た母の真の姿。その背景が明らかになった時には、胸がいっぱいになって泣いてしまう。このような愛もあるかと。そしてそんな母を愛したヤングアメリカンな青年の姿もまた。戦中という時代も七月七日という言葉にも、大島さん独特の詩心を感じます。
「アモンとアスラエール」 坂田靖子 1976年
(新書館ペーパームーン・コミックス「アモンとアスラエール」)
自分の欲望に正直でそれを手に入れる為ならば手段を選ばない非情なアモンと、優等生として自分自身を偽り続けるアスラエール。彼は最後までアモンを拒絶し続けるが、それは自分自身と向きあうことへの拒絶でもあったかのよう。破滅的な魅力に満ちて、ぐいぐいとラストまで読まされてしまう。そのラストシーンの眩惑的な安堵感。深い眠りに陥る前の呪文のように、「愛しているよ、アスラエール」。
「いかさま師」 森脇真末味 1987年
(小学館PFコミックス「Blue Moon」)他
ブルームーンシリーズの中でも英一たちの父親「英明」の話はとても魅力的。印象深い「赤い舟」のエピソード、自分の孤独を利用した英明に対する恨みつらみ。そしてその裏側にある憧憬。森脇作品で秀逸なのは実にこのなんとも表現しがたい愛憎関係だと思います。愛とも憎しみとも、哀れみとも侮蔑ともとれるもの。その複雑な感情ゆえにコントロールを失い破滅していく人間像。私はそれをこよなく愛して止みません。(^^;)
「ハイネよんで」 大島弓子 1976年
(朝日ソノラマ・サンコミックス「草冠の姫」)他
鹿に育てられた野生のままの少年の限りなく澄んだ眼は、大島さんにしか描けないような気がするそんな話。若い夫婦の元に突然現れた野生の少年、そのことによって微妙に変化していくふたりの関係。「雪はますます深くなった」というラストの二行が圧巻。ハイネの詩を朗読してくれる夫を持たなかった者にとって、宣言すべしと語りかける妻を持たなかった者にとっても、これは限りないメルヘンです。
「メデュウサ」 山岸凉子 1979年
(文春文庫「ハトシェプスト」)他
その眼を見たものを石にする「メデュウサ」。唯一彼女が石にできない人間がニコラ。ニコラとは何者なのか?身持ちのよからぬ 不良少女、金持ちにたかる不誠実な愛人。メデュウサはそれでも何かを期待していたのかもしれない。奇跡かあるいは真実の愛とか。でもそれは彼女の都合のいい自己逃避。他人を石にできるというのも彼女の都合のいい幻想。最後にはその幻想に自閉してしまうメデュウサがなぜか私は好きです。
「T.E.ロレンス」 神坂智子 1984〜1988年
(新書館ウィングス・コミックス「T.E.ロレンス」)
アラブと砂漠に焦がれ、極限まで自分を追い込みながら最後には引き裂かれる魂の記録。ハムディーという、目的の為には個人の感情なんて関係ないとまで言い切る冷酷な人物とロレンスの組合せが魅力的。大きな歴史のうねりに呑込まれ、英雄と呼ばれた男の内面の虚実ないまぜ「内乱状態」が説得力をもって語られています。そして「アラビア以降のロレンス」の迷走には、人生の早い時期に栄光を手に入れてしまった者の「不幸」を見るような気がします。
「ダモイ」 森脇真末味 1983年
(小学館PFコミックス「ささやかな疑問符」)
傾きかけた日本家屋に住む霞を喰って生きてる男「魚住」。創作にまつわる葛藤、夢と現実。憧憬と憎悪、嫉妬と侮蔑。「おまえが大嫌いだ」と言わずにはいられない芹生の苛立ちは、ダモイに魅せられ魚住の才能に嫉妬している自分自身への苛立ちでもある。森脇作品には創作の絡む話が幾つかあるけれど、それは自分自身との葛藤である場合が多いと思います。他人の夢を生きることはできないということでしょうか。
「真夜中の弥次さん喜多さん」 しりあがり寿 (マガジンハウス「真夜中の弥次さん喜多さん」アスペクト「弥次喜多in DEEP)) ヤク中の喜多さんとべらんめえ弥次さんは隠れもない恋人同士。お伊勢さんに行けば幸せになれると江戸を出発した二人が辿る魂の東海道中。ヤク中の喜多さんの幻覚の中に繰返し現れる生と死のイメージ。作中印象的な幻覚キノコの森やラッキー死ん太生き太の漫才、涅槃港の喧噪などなど、どれも美しくグロテスクで悲しく愛おしい。「弥次喜多 IN DEEP」として続編も描かれているが、こちらの方がなぜか同性愛色も濃く文句なしに傑作と言えます。
10 「悪魔が夜来る」 ひさうちみちお 1980年
(青林工芸社「悪魔が夜来る」)
ある夜、吸血鬼が男の部屋へ忍び込む。しかしベットにいたのは別の「女」だった。そこから大家や村の駐在、同じ下宿に住む吸血鬼研究家などその他大勢を巻き込んで大騒動が始まる。しかしこの作品の見せ場はその終盤、ドタバタのあといきなりシリアスな信仰と同性愛の話になる処。神父が語る、遠ざかっていく方舟を泥舟に乗って必死で追い続ける夢の話。神から遠く離れ迷いながら、だからこそより強く神を求めるのだという言葉。とても胸に残ります。

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