Review 私のソドム
SALO: 120 DAYS OF SODOM (1975)
上映時間 118分 製作国 イタリア 初公開年月 1976年9月 監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ 原作 マルキ・ド・サド 出演 パオロ・ボナチェッリ
ジョルジオ・カタルディ
カテリナ・ボラット
STORY
第二次大戦末期、ナチ占領下の北イタリア。四人のファシスト(公爵、銀行家、枢機卿、判事)が郊外の屋敷に、よりぬきの美しい少年少女を集め、快楽と残虐の限りをつくす。
あまりにも強烈な描写と、監督のセンセーショナルな最期が相まって、興味本位に取り沙汰されることが多い「ソドムの市」(以下ソドムと略)だが、この作品に対する私の印象は「パゾリーニってマジメな人」というものだ。もちろん何度か鑑賞を繰り返した(さすがに続けてはムリなので何年かごとに間隔をあけて)後にたどりついた印象だが。初めて観たのは10年以上も前。テレンス・スタンプが不思議な魅力を漂わせた「テオレマ」の監督という知識しか持っていなかった私は、ただただ衝撃的な描写に圧倒されて茫然自失。「もう二度と観るものか!」と記憶から消し去ろうとした。しかしその後、「アポロンの地獄」「王女メディア」、そして「大きな鳥と小さな鳥」「豚小屋」などの諸作品にふれ、また、パゾリーニのインタビュー本を読んで、ソドムを再見してみようと、いや再見しなければ…と思い立ったのだ。
「パゾリーニで一番好きな作品は?」と聞かれたら、私は迷うことなく「テオレマ」を挙げる。映像の美しさ、テレンス・スタンプの不思議な魅力。澁澤龍彦さんが「スクリーンの夢魔」(河出書房)においてふれているように、これは「現代の寓話」であり、アルベルト・モラヴィア語るところの「聖性を失った近代社会で行われる奇蹟の物語」であり、そして精神の崩壊を免れ聖女となるエミリアとラストシーンにおいてのカタルシス…理屈は要らない詩のような映画だと思う。次に惹かれるのは「王女メディア」「奇跡の丘」や「アポロンの地獄」「豚小屋」の神話的背景の物語における、まるで辺境の星のような砂漠や荒野の映像。無国籍風の衣装、黒人霊歌や日本の雅楽、オリエンタルな空気、自然の造形を駆使して創造した神聖世界に、現代社会の既成概念を打ち破りプリミティヴな感性をえぐろうとするパゾリーニの姿勢を見出し、自然にからだがふるえてくる。しかし、ソドムについては「好き」なのか「嫌い」なのか自分でもわからないのだ。
「エログロの極致」「阿鼻叫喚地獄」「変態嗜好博覧会」…映画公開時から今日まで、様々な形容がソドムに冠せられた。映画にかぎらず、作品というものは創作側の手を離れた時点で、鑑賞する側のものになるのだから、どう感じようと、どう語ろうと自由だ。五人目のファシストとなって想像の中でサディズムに酔いしれる見方もあろうし、いたぶられる側に自らを投影して、被虐趣味を満喫しようという向きもあるだろう。そしてほとんどの観客は、初めてソドムにふれたときの私のように、不快感とショックでソドムをうち捨ててしまうかもしれない。それは仕方のないことだろう。しかし、パゾリーニの背景を知り、彼の声に耳を傾けたときに、もう一つのソドムが見えてくる…。
パゾリーニの生涯については、プロフィールにも記したが、もう少し詳しく書いてみよう。
彼がイタリアのボローニャに生をうけた1922年はファシズム真っ只中という時代であった。貴族の末裔で軍人の父カルロ・アルベルトとはまったくウマがあわなかったが、母スザンナについては「理想主義的で、理想化された世界観の持ち主」と語っている。「アポロンの地獄」シルヴァーナ・マンガーノが演じた母親の衣装は、母スザンナが着ていた服を元にデザインされたらしい。このことは、パゾリーニが「アポロンの地獄」のようにオイディプス・コンプレックスの持ち主であり、父子関係の拒否、「権威」への反抗を抱き続けていたことを示唆している。
14歳のときに国語教師アントニオ・リナルディからランボーの詩を教えられたことで文学への興味が芽生え、「ランボーを読むことで新しい世界が開けた。私はファシズムに反抗する人間になった」と語っている。
戦時中は母スザンナの郷里フリウリ地方のカザルサで過ごし、詩人としての活動を始める。21歳のとき、イタリアの戦局は暗転、召集命令がくるが、1週間後に休戦、難を逃れる。
この頃、逮捕されていたムッソリーニをヒットラーの命を受けたドイツの精鋭部隊が救出し、ムッソリーニはサロ共和国を樹立。これがソドムの原題「SALO」である。
不穏な空気の中、パゾリーニは兵営からカザルサへ逃亡。逆に3歳下の弟グィードはパルチザンに参加するため家を出て、1945年2月、内部紛争により戦死する。「弟は、私の理想の人間、私がかくありたいと願うような人間だった」
弟の死の衝撃からか、この頃より生と死のあり方、ホモ・セクシュアルへの関心が強くなってきたという。母と二人でカザルサに住み教師をしていたこの頃に、少年たちへの思慕をつのらせていた様子は処女小説「不純行為」にも描かれている。
25歳で共産党に入党し、イタリア共産党の創始者アントニオ・グラムシの著作を愛読、精力的に活動する。しかし、「同性愛者は青年たちを堕落させる」と攻撃され党から追放、カザルサを追われたパゾリーニは母と共にローマ近郊のスラム街に移り住む。
文化的知的リーダーとして活躍していたパゾリーニにとって、下層プロレタリアート生活はトラウマ的邂逅であった。しかし「ラガッツィ・ディ・ヴィータ(不良少年たち)」と呼ばれる少年たち(後にパゾリーニの助監督として、また俳優として活躍するチッティ兄弟も)と出会い、彼らに溶け込もうと努め、実際にラガッツィ・ディ・ヴィータとの交流は死ぬまで続いた。
28歳の頃、ローマ郊外の私立学校に教師の職を得、文学活動にのめりこむ。小説「生命の若者たち」はコロンビイ=クイドッティ賞を受賞。この時期、父が母子と一緒に暮らすようになり、悲惨なオイディプスの戦いは父の死まで続く。
20代の終わりには詩人、小説家、脚本家として名をなし、イタリアを代表する小説家アルベルト・モラヴィアやベルナルド・ベルトリッチの父で詩人のアッティリア、2歳年上の映画監督フェデリコ・フェリーニらと親交を深め、1961年「アッカトーネ」で映像詩人としての才能を花開かせる…。
その後もパゾリーニの内面、周辺では様々な変化が起こるが、この映画監督デビューにいたる青年期までに、ソドムを撮る基盤ができあがっていたのではないだろうか。以下にソドムについてのインタビューを抜粋してみよう。
「私は、人間の欲望を肯定的に描いた『艶笑三部作』を撤回する。『ソドムの市』は新たなる闘いの一歩だ」
「この映画のセックスは、権力と、それに従属させられている人々との関係のメタファー(暗喩)だ」
「権力を持ち、存在論的で、つまるところ独裁的な四人の男たちが、彼らの忠実な犠牲者たちを『モノ』になるまで『おとしめる』のだ。そしてこれらは、おそらくサドの意匠にも従うだろうが、ダンテ的な構造を持った、神秘的で演劇的な形で進展していく。『地獄の門』と『三つの世界(獄)』だ。主な映像は、暗喩的な性格をもっていて、次々に犯罪的振る舞いが積み重なっていく。もちろん『誇張』されているよ。だって私は、観客の忍耐の限度を凌駕してみたいと望んでいるのだから」
「権力とは、私たちを『征服する側』と『される側』に分断する教育システムだ。ただ、注意しなくちゃいけないのは、それは私たちを…いわゆる支配階級から、一番貧しい人たちに至るまで、『全員』を仕込もうという『画一的』教育システムだということだ。だから、全員が同じものを欲しがり同じように行動することになるわけだ。仮に私が取締役会だの株式操作だのを操る身だったとしたら、私はそれを利用するだろう。たとえ棒切れ一本しか持ってない身だったとしても、それを利用するということにかけては同じだ。私が人を打つとき、それはつまり欲しいものを手に入れるために暴力をふるっているんだ。それでは、なぜそれが欲しいのか?それを欲しがるのはいいことだと、教え込まれているからだ。したがって、私は自分の正当な権利を行使しているということになる。私は人殺しだが正当というわけだ」
ずいぶんと端折ったが、パゾリーニの生い立ちと生の声を挙げてみた。ソドムを嫌悪してうち捨ててしまっていた私は、彼を知ることで、もう一つのソドムを見つけたのだ。ファシズム台頭期に幼年期を過ごし、権力と対峙し下層階級の人間たちと共に生きてきたパゾリーニ。彼が単純に残虐なエログロ趣味やセクシュアル・ファンタジーのために、この作品を撮ったのではないことが、ようやく理解できたのだ。
もとよりソドムを観て興奮したという声は少なくとも私の周りでは聞かれなかったように思う。エロ・グロ・ナンセンスや頽廃的雰囲気が大好きな私だが、初めて観たときから現在にいたるまで、四人のファシストに背徳の美学などみじんも感じなかったし(オジサンたちが美青年だったとしても多分)、声を発しない少年少女の裸体はエロティックというより、何らかの処理を施されるための「モノ」のようにしか思えなかった(パゾリーニのインタビューを読んで気づいたのだが、最初から私は彼の術中にハマってしまっていたのだ)。
それはともかく、「この映画は寓意画である。自分で枠を探し出して観なければならない」というのを、ソドム鑑賞の試みの一つとして挙げたい。(作品を鑑賞する場合、枠組みを外してみるほうがおもしろいのだろうが、ソドムは最初から枠組みが破壊されているので)エログロの極致と真に受け悦んだり、不快感のみと嫌悪するのは、鑑賞の枠を探し出せなかったからではないか。
三菱銀行事件の犯人が「おまえら『ソドムの市』観たか?」と言いながら、耳を殺ぎ落とさせたというのは有名な話だが(澁澤龍彦さんが「犯人は原作を読んでいないだろうな」と語ったエピソードもあるが)、犯人がパゾリーニの背景を知っていたら、あるいは…。いや、芸術作品にインスパイアされたという犯罪者は想像力のない意志薄弱者にすぎない。「人殺しだが正当」というパゾリーニの「権力」への痛烈なアイロニーが二重にのしかかる。
さて、自分なりの鑑賞の枠を得た後…。
最初に観たとき凄まじく不快だったスカトロシーン。自分では嫌なのに無理やり食べさせられる苦痛。何だかおぼえがあるような。悦んで食べるファシストの欲望そのものがパゾリーニ語るところの教育システムに似ていないだろうか。まさにクソ食らえだ。強烈な後味の悪さといえば「血の地獄」の拷問を離れたところから覗き見するファシストたち。覗き見する快楽。何だかおぼえがあるような。昨日見たテレビに似ているような気がしないでもない。すでに現代はソドムにとりこまれているのかもしれない。
また忘れてならないのは、映像の美しさ。おなじみの左右対称、ズームの多用、斬新な構図、絵と音楽のアンビバレンツ。残虐な描写を真っ向から受け止めなければ、そのわかりやすい図式で、ソドムも「テオレマ」「豚小屋」の延長線上にあることがわかる。
「観客の忍耐の限度を凌駕するために」とはいえ、「新たなる闘いの第一歩」と語ったパゾリーニ。その直後にまるで映画のように死んでしまった彼は、やはりマジメな人であったと思う。
あれから15年。「権力」はあちらこちら見えるところでも見えないところでも跋扈しているようだ。ソドムは映画史もしくは社会史に残る重要な作品であり、私にとっては大好きな作品ではないけれども自分を知るための大切な作品だ。映画作家としては、幻想そのものに価値を見出そうとしたフェリーニのほうがずっと好みだけれども、現実にこだわり続けたパゾリーニのみる夢がなぜか気になるのである。
※ パゾリーニの死について
1975年11月2日早朝、ローマの南方アスティカ海岸の近くで、パゾリーニの死体が発見された。頭を砕かれ、顔は切り刻まれ、手は露出した男根をかたくにぎりしめていたという。犯人は当時の恋人であった17歳の少年といわれているが、一方では暗殺説もささやかれている。(当時の新聞記事は⇒こちら)
※ チッティ兄弟について
ローマに移り住んだときに知り合った下層プロレタリアートの少年たちの中に彼らはいた。
弟のフランコ・チッティはパゾリーニ作品に欠かせない俳優。「アッカットーネ」「マンマローマ」「アポロンの地獄」「豚小屋」「デカメロン」「カンタベリー物語」「アラビアンナイト」に出演、特異な存在感でパゾリーニ世界を体現。
兄のセルジョ・チッティは、「アッカトーネ」から映画作りに協力、後に助監督として、また生涯の友人としてパゾリーニに欠かせない存在となった。
※ ホモ・セクシュアルについて
教師をしていたときの学校の同僚の女性は、パゾリーニに好意を寄せていたが彼の趣味を知っていたので、自分が「かくれみの」になろうと努めたらしい。「うしろめたさ」を感じている男色家の「かくれみの」というと、大島弓子作品のエピソードを思い出す。
※ 原作について
「ソドム百二十日」は河出文庫(澁澤龍彦訳)、河出書房新社「澁澤龍彦翻訳全集8」にて読める。
(2001年10月)