CINEMA DIRECTOR POLANSKI


Review   アパートの住人たち

「反撥」「ローズマリーの赤ちゃん」「テナント(恐怖を借りた男)」

「反撥」のキャロルを演じるカトリーヌ・ドヌーヴ

「怪奇と幻想のページ」のトップデザインは「テナント」の舞台となるアパートの構造からヒントを得た。この映画によってもたらされた不安と恐怖、日常に潜む狂気と闇、孤独と侵蝕…そんなモノを追求してみたくて、このサイトを立ち上げたのだが…それはともかく、「テナント」と共に語られることが多い同監督の「反撥」「ローズマリーの赤ちゃん」。この三作品が並べられるのは「妄想」というキーワードにおいてであろう。しかし他にも共通点がある。「アパート」「異邦人」「フェティシズム」…これらのキーワードでポランスキー作品の魅力にせまってみたい。
REPULSION(1964) 
上映時間 105分
製作国 イギリス
初公開年月 1965年8月
監督 ロマン・ポランスキー
出演 カトリーヌ・ドヌーヴ
イヴォンヌ・フルノー
ジョン・フレイザー
イアン・ヘンドリー
賞歴 ベルリン国際映画祭
 銀熊賞(ポランスキー)受賞
STORY(反撥)

ルクセンブルグからの移民であるキャロル(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、ロンドンのアパートで姉のヘレンと暮らしている。ヘレンが活動的な性格なのに対し、妹のキャロルは内気な性格。隣の部屋から聞こえてくる姉と不倫男性の情事の気配。一人とり残されたアパートの部屋。好意を寄せてくる男性。けたたましい鐘の音。潔癖症のキャロルは喧騒と孤独の中で、いつしか性的な「妄想」を抱くようになり…
「反撥」という邦題は陰影の濃いモノクロの美しい映像に似合っているが、キャロルの精神状態をあらわすには「拒絶」と訳したほうが似合っているかもしれない。キャロルの精神はいつから崩れはじめたのか。
瞳のアップが印象的なはじまりと終わり。ラストで完全にあちら側にいってしまったキャロルの瞳にはもはや何も映っていない。しかし故郷で撮られた少女時代の瞳にも、冒頭の仕事中の瞳にも、最初から何も映っていなかったのではないか。彼女の性格、育った背景や現在の環境などは一切説明されていないが、キャロルを冷ややかにとらえるカメラがすべてを知っているかのようだ。こう書くと未見の方には淡々とした作品だと思われるかもしれないが…この映画は怖い。個人的にはホラー作品として有名な「ローズマリーの赤ちゃん」よりずっと怖かった。

性的な妄想を抱くようになったきっかけは、隣の部屋から聞こえてくる姉と不倫関係にある恋人との情事の声だったのか。彼らの喘ぐ声を聞きたくなくて枕を叩きながら苛立つキャロル。見あげると壁に小さな亀裂が…
職場は女性ばかりのビューティー・サロン。うつむき加減で歩く彼女に肉体労働の男たちが卑猥な言葉をあびせる。近くの教会からは昼夜をとわずヒステリックな鐘の音が鳴り響き…。

異邦人キャロルにとって周りは敵だらけ。その中で唯一の味方と信じている姉も不倫相手の恋人と旅行へ出かけてしまう。一人とり残されたアパートの一室。姉の恋人のヒゲ剃り道具や脱いだシャツに嫌悪感をあらわにしながら、男性用剃刀の感触を確かめるようとするキャロル。内向的で自意識過剰、潔癖症の彼女が、セックスへの強い憧憬を抱いていることがうかがえる。それは何も悪いことではない。22才(という説明は作中にないが、演じたドヌーヴが22才だったので)の女性なら自然な感情だろう。
キャロルに好意を寄せてきた青年は、どこにでもいる平凡だが健康的な男性だ。しかし彼女は青年と接触することができない。外部から侵蝕されることを何よりも恐れているからだ。結局、キャロルは部屋に入ってきた青年を拒絶(殺害)してしまう。そして妄想の中で、どこの誰ともわからない男にレイプされるのだ…!


鏡に映る男の影。壁から盛り上がる無数の手。レイプシーンは時計の音だけで緊張のあまり息がとまりそうだ。なんという描写だろう。観客は無理やり狂気の淵をさまよわされるのだ。ショッキングな、またグロテスクな場面はないのに、ここまで恐怖をかもしだすことができるのはなぜだろう。ひとつにはポランスキーの執拗なフェティシズムが挙げられると思う。ハエのたかるロースト肉。やかんに映る顔、男性用剃刀、芽の出たジャガイモ、壁の亀裂、道路のヒビ、横行する道化師、鐘の音、少女時代の写真…繰り返し挿入される映像と、何よりもドヌーヴの美しさ…!何も映っていない空虚な瞳、鼻をはじく奇妙な仕草、乱れた髪と着衣。しかし彼女はあくまでも美しくエロティックで…。

彼女にとって現実とは外部からの侵蝕でしかない。だから彼女がいくら現実に殺人を犯そうが、妄想の中でレイプされようが、彼女は永遠に被害者でしかないのだ。ここに、この映画の怖さがある。

アパートの壁の亀裂は、彼女を外部から守っていた壁の崩壊を象徴していたのだろうか…。
いやポランスキーは精神崩壊の理由を描きたかったのではなく、ただ崩壊のさまを描きたかっただけなのかもしれない。よけいな詮索はこの作品の魅力を半減させることになるだろう。
ちなみに、山岸凉子さんの作品に、やはり性を嫌悪しながら精神に異常をきたす若い女性の物語があるが、これらもまたじわじわと侵蝕されるような怖さであった。


ROSEMARY'S BABY (1968)
上映時間 137分
製作国 アメリカ
初公開年月 1969年1月
監督 ロマン・ポランスキー
原作 アイラ・レヴィン
出演 ミア・ファロー
ジョン・カサヴェテス
ルース・ゴードン
シドニー・ブラックマー
モーリス・エヴァンス
ラルフ・ベラミー
エリシャ・クック・Jr
賞歴 アカデミー賞
助演女優賞(ルース・ゴードン)受賞
脚色賞(ポランスキー)ノミネート 

ゴールデン・グローブ賞
助演女優賞(ルース・ゴードン)受賞
STORY(ローズマリーの赤ちゃん)

ニューヨーク、マンハッタンの古いアパートに越してきた俳優志望のガイ(ジョン・カサテヴェス)と若妻ローズマリー(ミア・ファロー)。おせっかいな隣人たちに困惑しながらも彼らは新生活をはじめ、やがてローズマリーは妊娠する…不可解な事件、隣人たちや夫の言動から、彼らはサタニスト(悪魔主義者)ではないかと疑いを抱きはじめるローズマリー。「妄想」か「現実」か…アイラ・レヴィンの同名小説を映像化。
「妄想」「現実」か…ストレートに鑑賞すれば、サタニストは存在し、ローズマリーが悪魔の赤ちゃんを出産したのは「現実」だ。原作のラストは、瞳孔のない獣のような眼をした悪魔の子供を産んだことに絶望し、「母親が嬰児を殺し、自殺」という筋書きを企てるも、泣き声が聞こえてくると、自分が産んだ「かわいそうな小さな生き物」への思慕がこみあげ、ローズマリーは母親になる…というもので(「」内はハヤカワ文庫「ローズマリーの赤ちゃん」からの引用)、ポランスキーはこれをほぼ忠実に映画化しているようだ。最初は、情緒不安定な妊婦特有の「妄想」であるように描写しておいて、次第に「現実」が明らかになってゆくという手法。

私も最初はストレートに悪魔の存在を「現実」として鑑賞した。そして二回目はすべてがローズマリーの
「妄想」であったなら…という観方をした。なぜだか2回目のほうが恐ろしかった。妊娠期は肉体だけでなく精神的な変化もあらわれる。感情の起伏が激しくなったり神経過敏になったり。ローズマリーにとってはいつもと違う出来事がすべて不安の材料になっただろう。
なれない都会に越してきたばかりのローズマリーは
異邦人だ。交通至便で重厚な雰囲気のアパートを見つけて入居したが、友人から聞かされたよくない噂、家具を移動させたようなカーペットのあとがどうも気にかかる。隣のカスタベット夫妻のなれなれしさにはウンザリしてしまう。夫はいつのまに彼らとあんなに親しくなったのだろう。彼らの養女の死の原因は何だったのだろう?悪魔に凌辱される夢をみて妊娠がわかるなんて。産まれてくる子供は健康かしら。今問題になっている奇形児の心配はないかしら。夫のライバルが事故に遭ったのは偶然?彼はなぜ私の目をまっすぐに見なくなったの?なぜ、なぜこんなにお腹が痛いの…?

悪魔崇拝ものとしても、サイコものとしても、どういう観方をしてもこの作品はおもしろい。舞台となったダコタハウス、カメラの構図、コメダの音楽、ミア・ファロー、ルース・ゴードンらの演技、そしてポランスキー特有の
フェティシズム、すべてが作品の魅力となっている。今みても新鮮で可憐なローズマリーのマタニティファッションをはじめ、アパートの黄色で統一されたインテリア、鉄製トースターに映る痩せこけたローズマリー(「反撥」でやかんに映ったキャロルが連想される)、タニス草のペンダントや悪魔の書、アナグラムの謎などなど、細部へのこだわりもさすがだ(サタニストのRomanと監督のファーストネームが同じというのもおもしろい)。時代やジャンルを超えたスタイリッシュな映像というのはこういう作品のことをいうのだろう。

ちなみに、原作者は妊娠中の妻に絶対に原稿を見せなかったと語っているし、映画のほうも「妊娠している人は観ないほうが」と言われたりしているが、私はそう思わなかった。ラストであちらの世界にとりこまれたと解釈しなければ、ローズマリーには強さを感じる。女性の視点で描かれているので、「世の中には悪魔よりも怖いものが潜んでいるんだよ」というメッセージさえ感じる。観る視点によって怖さの種類が変わってくるポランスキー特有の曖昧さも魅力の一つかもしれない。


THE TENANT (1976)
上映時間 126分
製作国 フランス/アメリカ
初公開年月 劇場未公開
監督 ロマン・ポランスキー
原作 ローラン・トポル
出演 ロマン・ポランスキー
イザベル・アジャーニ
メルヴィン・ダグラス
シェリー・ウィンタース
ジョー・ヴァン・フリート
ベルナール・フレッソン
STORY(テナント 恐怖を借りた男)

パリの古びたアパートに部屋を見つけたポーランド移民のトレルコフスキー(ロマン・ポランスキー)は、前の住人が窓から飛び降り自殺をはかったと聞かされ、その女性シモーヌを病院に見舞い、そこで彼女の友人ステラ(イザベル・アジャーニ)と知り合う。やがてシモーヌが死に、アパートに越してくるトレルコフスキー。しかし、シモーヌの痕跡、向かいの窓にたたずむ奇妙な影、わずかな物音で苦情を発する隣人、口うるさい家主、無愛想な管理人…すべてがトレルコフスキーにとって脅威となっていく。いつしか彼は周囲の人々によって自分がシモーヌに変えられていくのではないかという「妄想」を抱くようになり…
ポランスキー作品の中ではこの映画が一番好きだ。日本では劇場公開されなかったし、アカデミーなどの賞は全然とれなかったけれども、ファインダーから己の姿を覗き見する偏執狂的なポランスキーはゾクゾクするほど魅力的だ。トポルの原作「幻の下宿人」は未読なので原作のラストを知らないのだが、映画のほうは不条理劇のような終わり方になっている。不可思議な結末もまたおもしろいが、トレルコフスキーという人間が壊れてゆく過程の描写が、この映画の見どころになっていると思う。

トレルコフスキーもやはり異邦人である。ポーランド移民であり古びた
アパートの新参者。しかし「反撥」のキャロルのように潔癖症だとか、ローズマリーのように妊娠中とかいうわけではない。些細なことに気を回してしまうが、どこにでもいるような小心者といった雰囲気の男だ。そんな平凡な人間が壊れていくというのが怖いのである。
きっかけは、彼が借りる予定の部屋に以前住んでいた女性シモーヌが自殺をはかったという事実。死の淵をさまよっているシモーヌを見舞ったときからトレルコフスキーは強迫観念にとらわれていたのかもしれない。シモーヌが死んだら、はれてアパートに住めるのに…と考えてしまった良心の腐蝕も関係していたかもしれない。

集合住宅に住んだ経験のある人間なら、多かれ少なかれ隣人たちとの付き合い、トラブルに悩まされたことがあるだろう。特に古いコミュニティに新しく入るには孤独を覚悟しなくてはならない。トレルコフスキーの場合は、孤独感にシモーヌの自殺という事実が重なって、
妄想がふくれあがっていったのだろうか。

ここでもポランスキーの
フェティシズムは全開。壁の中の綿にくるまれた歯、クローゼットに残されていた女物の衣服、向かいの窓の人影、カンフー映画、鏡、ドアの前の糞、めまいがしそうなほど急斜面の屋根、とがったガラス片…。そしてトレルコフスキーをとりまく隣人たち。どこのマンションやアパートにでも、口うるさかったり神経質な住人は一人くらいいるものだが、彼のアパートにはそういったタイプの住人が一人ではなかったわけだ。シモーヌの男友だちはめそめそしているし、彼女の女友だちステラもどことなく変わっている。(「アデルの恋の物語」のアジャーニの印象があったからかもしれないが)

途中までは、こちらも周りからジクジクと苛まれているような、わけのわからないストレスをためながら、トレルコフスキーに感情移入して観ていた。しかし先に彼の神経がプッツンと切れてしまったので感情移入していたこちらは茫然自失。狂気につっぱしるトレルコフスキーの姿をみつめなければならないという強迫観念に陥り、ストレスはふくれあがるばかり…!女装して飛び降りるシーンの怖さは本当に痛みをともなう怖さであった。
好きな映画ではあるが、何度も観たい映画というのではない。体調がおもわしくないとき、もしくは精神的にまいっているときには絶対に観たくない映画である。

ポランスキー監督について
この三作品の共通点、特に孤独な「異邦人」はそのまま監督自身に重なる。「人生の波乱なんてものに、ぼくは価値を求めないね」と本人は言うが、そのプロフィールを知ると、経験と作品が互いに影響しあっているのではないかと穿った見方をしてしまうのは私だけではないだろう。(詳しいプロフィールは⇒こちら
幼少年期をアウシュビッツ収容所で過ごし、そこで母を亡くしたという事実。1969年、妊娠8ヶ月の妻シャロン・テートを悪魔のような狂信的ヒッピー集団マンソン・ファミリーに惨殺されたという事実。1977年、13才の少女モデルとの不正性交によって逮捕され、保釈中にヨーロッパに渡り逃亡犯となった事実。
テート事件のおりには容疑者の一人として調べられたともいう(「マジック・クリスチャン」出演のためにイギリスに渡っており不在だった)。殺人集団マンソン・ファミリーの動機を調査中の捜査官に対し、ポランスキーはこう語った。
「ぼくが動機を探すとしたら、なにか君たちの社会常識では説明できないようなことを探すよ」
ポランスキーにホロコースト映画や殺人集団の映画を撮ってもらえたら…これは残酷な願いだろうか。

 性を嫌悪する山岸凉子作品について
「天人唐草」(1979)「ダフネー」「ストロベリー・ナイト・ナイト」(1981)他。

 ダコタハウスについて
セントラル・パークに面した高級アパート。
1980年、ダコタハウスの住人であったジョン・レノンはアパート前で狂信的なファンにまちぶせされ殺害された。

※ 「アデルの恋の物語」について
1975年のフランソワ・トリュフォー監督作品。
悲恋の実話を描いた文芸作品として有名だが、イザベル・アジャーニ演じるアデルのストーカーぶりはある意味とても怖い。

※ マンソン・ファミリーについて
首謀者はチャールズ・マンソン。1934年生まれ。サンフランシスコへやってくる1967年までの大半を刑務所で過ごしてきたが、フラワー・ムーヴメント時代のサンフランシスコで、ある種の若者たちにカリスマ的人気を得、カルト集団を支配するようになる。ヨハネの黙示録、ビートルズの歌詞、ハインラインのSF小説、サイエントロジーなどを混ぜ合わせて終末論的世界観を構築していた。ドラッグ・カルチャーの申し子といえるだろう。

(2002年2月)
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