VAMP NECROPHILIA ANOTHER SEXUALITY
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呪うべき太陽の季節が

そこまで来ている…

笑う吸血鬼


乱歩、カリガリ博士、夢野久作、ロートレアモン、澁澤龍彦、家畜人ヤプー、無残絵…といった(もろ私好みの)テイストをきかせ、血汚物にまみれ、エロティシズムと悲哀にあふれた、丸尾作品に登場するキャラクターたち。その中で、私に恋ともよべる思いを抱かせてくれたのが、「笑う吸血鬼」の毛利耿之助である。

蝶

「笑う吸血鬼」は、駱駝女とよばれる百三十歳の吸血鬼と、彼女に選ばれて吸血鬼と化した男子中学生、毛利耿之助、そのクラスメイトで、性の恐怖に晒され続ける宮脇留奈、放火や残虐な夢想にエクスタシーをおぼえる辺見外男…を中心として、現代に繰り広げられる不思議な物語である。(耿之助といえば魔道の詩人、日夏耿之介、外男といえば西欧への憧憬を感じさせる伝奇作家、橘外男を連想してしまうが…)
丸尾氏は、過去に「ヴァンパイア」(「JUNE」1983年1月号に掲載)という短い吸血鬼モノを描いておられるが、この作品の登場人物も男子中学生であったのは偶然であろうか。中学生すなわち14歳前後の少年というのは、魔に魅入られやすいのかもしれない。心身ともに変化する時期のアンバランスさ、おとなと子供のはざまは、現実と夢想の境目にも似ている。
「ヴァンパイア」の竜彦(アノ龍彦氏を連想する。扉絵は若き日の美輪明宏氏か…)は、幼い弟を深い雪の中に置き去りにした罪悪感に身悶えするが、はたしてどこまでが現実で、どこまでが夢想なのかは語られていない。満月の夜に、「パンツの中からゾワゾワと毛がはへてくるようなイヤーな気もちになるんだ」…という少年の独白は狼男のようであり、男子中学生を襲うスタイルは吸血鬼のそれである。ヴァンパイアと化した少年は美しいが、嘔吐とも快感ともつかない、やりきれない思いが読後に残る。
対して、「笑う吸血鬼」を読み終えた後には、心地よい静謐な美しさのみがある。全編、血と精液にまみれた描写ではあるが、人間の醜さや狂気に比べると、吸血鬼たちのなんと清々しいことか…!


月は衛星ではない 

あれは空にあいた穴だ

向こうの世界の光が穴からもれているから

光って見えるのだ


吸血鬼は人外、モンスターではない、夜空の向こうの、この世の外の住人である。体を大地が受け入れてくれないのは、この世の悲しみを知りすぎたからであろうか…

月


駱駝女が吸血鬼へと化した背景は、凄惨である。忌まわしい時代の混沌の中で、容貌の醜さゆえ、私刑にあい、生きたまま吊るされ息絶えたのだが…大地が体を受け入れてくれなかったのだ。

対して彼女に選ばれて吸血鬼となった毛利耿之助の周辺については、あまり語られていない。中学校では、変わっているが、ジャニーズ系の美少年と思われている設定。しかし、「仲間というわけではない」と言いながら、駱駝女に贄を運んできたり、瀕死の留奈を救ったり、また十字架を怖がるフリなんかしてみたりするお茶目なところもあって、クールな魅力あふれるキャラクターになっている。
「ヴァンパイア」の竜彦も美形であるが、耿之助の美しさには、ある種の軽さとクールさがある。丸尾氏の時代による絵の変化、あるいは「ヤング・チャンピオン」という掲載誌の色にもよるのだろうが。その耿之助が留奈に血を分け与えるシーンは、ビルの谷間の花火を背景に、なんとロマンティックなことか。月をみあげる耿之助の、血をむさぼり吸う表情の、なんとエロティックなことか。ラスト・ページ、赤ん坊を抱いた留奈の後ろで不敵な笑みを浮かべる耿之助の表情は、百年の時の流れを知っているかのように見える。
結果的に吸血鬼の仲間入りをすることになる留奈(月にちなんで命名されたのだろう)の背景は悲惨なものである。幼い頃に遭った性的いたずらがトラウマになって、胸のふくらみや姉の妊娠さえもが汚らしく思えてならない。クラスメイトの女子たちが援助交際などで小遣いを稼ぐさまを横目でみていたが、ある下校時に、欲望の鬼と化したピエロに襲われ、精神を病んでしまう。さらに、クラスメイト、外男の夢想の餌食に…

ピエロ

外男については、現実の背景よりも、内在する心象風景のほうが恐ろしい。昨今ひんぱんにささやかれる「心の闇」という言葉に置き換えてもいい。成績は優秀だが協調性に欠けるという設定。夜のジョギングと嘘をついて放火や小動物惨殺を繰り返し、「笑う吸血鬼」という日記の中で、残酷な夢想を繰り広げる。そして夢想と現実の違いに落胆し、脅え、夜を徘徊するのだが、しかし名前のように外の世界に行く資格はないのだ。大地に受け入れてもらえずに、底のない世界で独りで死んでゆくのだ。そこで初めて悲しみを知るのだろうか。この世で経験することのなかった悲しみを…


おまえが異常なのか

世の中が異常なのか


外男の死をみつめる留奈の目には、侮蔑と憐れみの色が浮かんでいるように思えたが、その視線の先に、こちらの病んだ世界があるにちがいない。荒俣宏氏の解説文にも重なるが、弱者に加えられる残虐と、被虐者の逆襲が、丸尾氏描くところの吸血鬼なのかもしれない。
乱歩が「芋虫」を社会主義者から絶賛されて戸惑ったように、残虐な事件が絶えない現代に警鐘をならすといえば、丸尾氏は大いに戸惑うであろうが、現実と夢想の境目を見極めることのできない人間の卑小さ、性や暴力の衝動を抑えきれない人間の末路を、吸血鬼譚の中に、さらりと描くその才能は驚くべきである。
また、すべてのコマが一枚の絵として成立するような魅力にあふれ、それは荒俣氏いうところのグラン・ギニョル的なものでもあり、月夜の晩に首と戯れる乱歩的なものでもあり、また、ディテールにこだわった退廃的な魅力ともいえる。蝶や蜘蛛などの象徴的な描き方はシュルレアリスムの映像を彷彿とさせるし、アイテムの描写もユニークである。

アイテムといえば、耿之助が人間から吸血鬼へ変化するときに被っていた、また、留奈が強姦された翌日に被っていたエレファントマンのような布きれが印象的であった。日常を生きるために、目には見えない布きれで外界を遮断している人たちが、現実にもたくさんいるのかもしれない…などと、幾重にも受けとめられる微妙な描写である。

蜘蛛


もちろん、最初にあげたように、耿之助の独特な存在なくして物語は成り立たない。彼が人間を襲うときのエロティックな美しさは、読み手にある種の性的ファンタジーをもたらす。惨殺死体がくくりつけられた樹の上で、抱き合って月を見あげる耿之助と留奈。彼らには、人間世界への未練も自らの存在への苦悩もないようにみえる(吸血鬼モノに欠かせないプロットの一つであるが)。独りぼっちで死んでゆくより、別の世界で仲間と生き続けるほうがいい。この作品は、そんな少年と少女の、吸血鬼譚という名を借りた愛の物語であるのかもしれない。


ははは…!ははは…!はははは…!
(グレーの字体部分は「笑う吸血鬼」より引用しています)





「笑う吸血鬼」(秋田書店 2000年3月15日初版発行)
著者:
丸尾末広

 吸血鬼の誕生
 吸血鬼の憂鬱
 花と蝶
 人肌蜘蛛
 天国ではすべてうまくいく。

解説文:荒俣宏
「社会底辺と残虐の糸 丸尾グラン・ギニョール劇に寄せて」
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