寄稿 黒死館徘徊録の素天堂さん 高校時代、奇妙な装幀(その頃全く無名だったエッシャーの版画が使われていました)と書名にひかれて神田の古本屋で買った「夢の宇宙誌」。この一冊で知った澁澤龍彦の名は、自分に、全く違う世界を教えてくれました。どうしても手放すことができず、当時のまま自分の手元に残っているのはこの一冊だけになってしまいました。
その著者紹介で知った桃源社版「黒魔術の手帖」「毒薬の手帖」を取り寄せてさらに深みにはまり込んでいきました。既にその当時「異端の肖像」や「さかしま」の特装本などは絶版で古書店で見かけたとしても、金なし高校生に手の届く値段ではありませんでしたけれど。
そうして、桃源社からぞくぞく刊行されるユイスマン「さかしま」「彼方」「大伽藍」と続く異端の文学で高校時代の本棚は埋まっていきます。晦渋なユイスマンをファッションのつもりで読む、まあ、そのまんまいやみな子供時代でしたね。
それ(さかしま)を貸せといってきた高校の担任の先生とは今でもつきあいがあります。後で、内容についてレクチャーされました。国語の教師は「恐るべき子供たち」しか知らない自分に、コクトーの「阿片」や黒魔術のドキュメンタリーを見せびらかしたり。そうだ、図書室に入りびたって出席時間の足りなくなった倫理社会で自分の好きなテーマということで「ルネサンスとキリスト教」という御大層なレポートをでっち上げて救済してもらったこともありました。変な学校だったでしょ。いや、素天堂が変なのか。
そうして、「血と薔薇」の発刊・・・あの貞操帯は反則だと今でも思うけど、さらに薔薇十字社の出版事業開始へと、いわば素天堂にとっての夢の60年代は広がっていきました。ずっと貧乏でしたけどね。
そう、二月の寒い真っ盛り、平日の殆ど人影のない上野動物園を歩きながら、シロサイの何となく悲しい交尾を、寒風に吹かれながらボーっと見てたこともありました。
澁澤さんには何の関係もありませんが。
今でも続く友人曰く「あのころの澁澤さん達の本はオブジェだったよね」というセリフのとおり、手放した今でも、手と、眼にはすべての印象が染みついているといっても過言ではありません。とくに、黒い貼り箱に入った、艶のある黒い布で装幀された、ずしりと重くて美しい「黒魔術の手帖」を最初に手をしたときの驚きは今でも忘れられません。小口に塗られた黒い染料でくっついたページを剥がす感覚。二色で刷られた本文の内容と装幀の絶妙な絡み合いは、単なる読書好きの少年を、「本好き」の仲間に引き込んでいったのかもしれません。
古本屋さんとのお付き合いは中学生の時、生物の先生のスクーターで初めてつれてってもらって以来続いてるわけですが、さらに、「異端の肖像」が掲載された河出書房の雑誌「文藝(初代のB6サイズの頃のもの)」だとか、「黒魔術の手帖」「毒薬の手帖」の連載になった「宝石(これも光文社に身売りする前の探偵小説専門誌だった)」などを、古本屋さんで掘り起こす作業(どれも20円とか、高くても50円くらい)に夢中になっていったわけです。
その後、実は、素天堂。
ある日澁澤さんのお宅で一夜過ごした経験があります。
もう30年前になりますが、美術関係の私塾に通っていたおり、特別講師として招かれた澁澤さんの謦咳に接することができました。その日は澁澤さんのご機嫌もよく、講義の後の実技(偶然私たちのクラスだったのですが)当然クラスの全員が澁澤さんの大ファンでしたので、実技そっちのけで雑談が盛り上がりました。素天堂が、いろいろな雑誌のバックナンバーなどで単行本未発表のエッセイなど知っていたせいか、その際に、気をよくした澁澤さんの「よかったら、今度遊びにいらっしゃい」の一言が飛び出しました。
もちろん、お愛想のつもりだったのだと思いますが、若さ故の無鉄砲とでもいいましょうか、その年の夏、鎌倉の近代美術館へいったおり、誰からともなく、澁澤さんのあの一言を思い出したのでした。
電話番号を、電話帳で調べ(たと思うのですが)お宅へ連絡したところ、断られるどころか「今のお客はすぐ済むからいらっしゃい」という願ってもないお言葉でした。
早速、有り金出し合っておみやげを買い(そのお団子には、苦笑いしてらっしゃいました)、北鎌倉へ向かったのでした。横須賀線の駅からちょっと山に入った緑の多い窪地に、瀟洒な洋館がわれわれを待っておりました。御挨拶してお邪魔すると、まだ、ある出版社の編集の方と用談中でしたが、早々に招き入れられたのでした。
玄関からはオープンスペースの書斎兼応接間になっていて、あの、四谷シモンの人形オブジェや金子國義の石版画の飾られたその奥に、篠山紀信の撮影で有名になった、あの、書棚が私たちの前にあったのです。
貴重な蔵書やオブジェ(もちろん貝殻もありました)を目の前にして興奮する私たちを、うれしそうに迎えて下すった澁澤さんは、最初のうちこそ文学や美術方面のちょっとまじめな話をしていたのですが、舞踏に興味があって、自分たちでパフォーマンスなどやっていた仲間が踊り出したりすると、土方さんや笠井さんのいわゆる「暗黒舞踏」に造詣の深かった澁澤さんはとても喜んでくださいました。
そのうちに酒やお母様や龍子夫人の手料理で宴会になり、澁澤さんお得意の歌が始まり、居心地のよさにとうとう一晩泊まらせていただいたのです。もちろん、「ある種の研究をするためには必ず、なんでもいいから外国語をマスターすべきである」というような話もしてくださいましたが、不肖の?素天堂には結局そんな思い出が残るのみです。
みんなに当時出たばかりの角川文庫版「悪徳の栄え」を下さるというとき、サドはちょっとと、生意気なことをいって、せっかく、サインしていただいた創元版「世界怪奇小説全集フランス編」文庫本も手元にないくらいなので・・・2002.2.21
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