Vol.5 ヘンなおじさん 2000.10.
20世紀の音楽シーンを語る上で欠くことのできない天才ミュージシャン、そしてフォークからロックへと音楽性の幅を広げ、広いファン層を持つカリスマ・・・ボブ・ディランの音楽は、その独特の歌い方と胸に響く声がすばらしくて大好きだけれども、それ以上に、映像で彼の姿を見るたびに思うのだ、ヘンな人と。そして、そのヘンさが嬉しいと。
彼の映像は、手元の資料によると、公式・非公式あわせてビデオになっているものだけで20数本あるという。もちろん、音楽映画のほうが圧倒的に多いが、音楽よりも彼の個性のほうが際立っている場合も多い。
ディランが出演した映画と聞かれて最初に浮かぶのは、サム・ペキンパー監督の「ビリー・ザ・キッド 21才の生涯」(1973年)だ。ビリー・ザ・キッドには、やはりミュージシャンでもあるクリス・クリストファーソン(数年前、ウェズリー・スナイプス主演の吸血鬼映画「ブレイド」に出演していて、やはりアウトローを演じていた)、その恋人役に女性シンガー、リタ・クーリッジが起用され、ディランは、ビリーの仲間の風変わりな男の役であった。
テーマに使われた「Knockin On Heavens Door(天国の扉)」が大ヒットし、この作品に大きな深みを与えたが、私にはディラン自身のほうが印象に残った。出番、セリフ共に少なかったにもかかわらず、「真夜中のカウボーイ」のダスティン・ホフマン演じるラッツォにも似た強烈な個性が感じられたのだ。
その個性を見抜いて彼を起用したのがデニス・ホッパーだった。ホッパーが主演を兼ねたジョディ・フォスター共演の「ハートに火をつけて」(1989年)では、ディランは前衛芸術家だ。それも電気ノコギリで作品を創造するヘンな芸術家である。電気ノコギリとデニス・ホッパーといえば、トビー・フーパー監督の「悪魔のいけにえ」が思い起こされる。ホッパーがどういう意図で、ディランに電気ノコギリを持たせたのか定かではないが、「ヘン」だから持たせたのだと私は勝手に解釈している。
ところで、音楽映画の中のディランはたいていカッコいい。マーティン・スコセッシ監督が、ザ・バンドの解散コンサートを撮った「ラスト・ワルツ」(1976)、ジョージ・ハリソンらと行ったエイドもののハシリ的作品「バングラデッシュ救済コンサート」(1971)、そして1965年の英国ツアーの様子がモノクロのドキュメンタリー・タッチで描かれた「ドント・ルック・バック」(1967)。
60年代に制作された「ドント・ルック・バック」を私が観たのは実はつい先日だ。若いが既に強烈な存在感を感じさせるディランが、シュルレアリスム詩人のように歌詞(「Subterranean Homesick Blues」)を書いた紙を次々に放り投げてゆく。インタビューに答え、「イメージを決めつけるな」と言い放つディラン。1963年のミシシッピー選挙人登録集会で「Only A Pawn In Their Game(しがない歩兵)」を歌う映像も挿入され、胸が熱くなる。数々のミュージシャンたちの中でも一際目立つその姿はふるえがくるほどカッコいい。
そのカッコいい強烈な存在感が「ヘン」に感じられてきたのはいつからだろう。もしかしたら時代のせいだろうか。ディランは変わらない。風貌は変わっても、内面から60年代の反骨精神、イノセントな魂がいつまでもにじみでている。そのギャップが最も顕著だったのは、80年代という時代であった。
「メイキング・オブ・ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985)で、一番印象に残っている人物は、進行役のジェーン・フォンダでも、曲の要となったクインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチーでも、モータウンのお嬢、ダイアナ・ロスでも、目立ちたがりのマイケル・ジャクソンでも、サビで活躍するブルース・スプリングスティーンでもスティービー・ワンダーでもなく、とにかくボブ・ディランだった。
USA・フォー・アフリカによるプロジェクトは80年代エイド・ブームの核をなすものであった。ディランもサビの部分ですばらしい歌声を聴かせてくれる。最初ディランは、いつものディラン節ともいうべき歌い方をしていなかった。そこへスティービー・ワンダーが登場してディラン以上にディラン節を聴かせてくれる。ディランにディラン節を教授するスティービー・ワンダーの図!なんて贅沢なんだろう。ディランは素直にスティービーに従っていて、どことなく可愛らしい。
そして、「やはりヘンな人だ」と確信できるシーンが登場した。練習の合間に、ハリー・ベラフォンテを中心に「Banana Boat」の大合唱が始まり、ダイアナ・ロスやクインシー・ジョーンズらが率先してノリノリに歌い、他のミュージシャンたちも合流した。そんな中で、ディランだけが歌ってないのだ。いや、歌いたくても歌えないといった雰囲気で、上目使いにあたりを見回すその姿は挙動不審者そのもの、とにかく目立ちに目立っていた。私はビデオを見ながら笑い転げ、彼の強烈な個性を再確認して嬉しくなってしまった。
「ライヴ・エイド」はじめ「ファーム・エイド」など率先して参加しているディランのチャリティ精神が、ブームなどと関係ないことは、デビュー時からの彼の歌詞をみれば一目瞭然だ。それなのに、どうも熱くなりきれていないように感じてしまうのはナゼだろう。この「We are the World」のビデオクリップで初めてディランを見たという友人が、「ずいぶんヒネた人、しらけた人」と感想をもらしていたが、そんなふうに捉えられる不器用さが彼にあるのも確かだろう。「良いことをしている」という自分に酔うことが上手に出来ないのかもしれない。良いことをしてホメられた子供が、照れ隠しに押し黙ってしまう、ある種の繊細さが感じられて、私はディランのそういうところを最高に愛している。
彼の個性を素材に映画を撮ったのは、先のデニス・ホッパーだけではない。味のある俳優ティム・ロビンスの監督デビュー作、「ボブ・ロバーツ」(1993)は、ディランをモチーフに作られている。大統領選に出馬するシンガー、ボブを描いたコメディなのだが、「ドント・ルック・バック」冒頭で紙を放り投げていくシーンなどのパロディが織り込まれていて、ディランのファンならずとも楽しめる映画だ。パロディ化されたり、曲の歌詞に登場したり、名前をパロったミュージシャンが登場したりするのは、ディランの音楽だけでなく、彼の個性もが愛されている証拠なのではないかと思う。
80年代半ばのワールド・ツアー・コンサートで、ディランはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズをバックにロック色の強いパワフルなステージを見せてくれた。その時のファン層は年配者が多く、80年代のバブリーな若い人たちの姿は見られなかった記憶がある。80年代に70年代風のカッコをした人たちがバンザイ三唱している場面も見かけた。もしかしたらファンの人たちもヘンなのかもしれない。そういえば、ディランのファンで名高い、マイブーマーの元祖みうらじゅんさんも何となくヘンである。
私はまだディランの20数本の映像すべてに出会えていないのだが、特に見たい映像が一つある。「サタディー・ナイト・ライヴ」(1976)出演時のものだ。ジョン・ベルーシらが、どんなふうに彼と絡んだのか、とても興味がある。数年前、大病を患って以降、グラミー授賞式でしか彼の姿を見ていないが、元気でカッコよく、そしてヘンさも健在というディランの姿が拝める日を心待ちにしている。