Vol.1 お葬式にはビートルズ? 2000.6.
ビートルズが流れる映画って意外に少ない。小学5年生からジョン・レノンに思い入れてきた私でも、自分が映画監督だったらビートルズは使わないと思う。理由は二つある。一つには、気恥ずかしいのだ。子供とおとなのハザマの青くさい記憶がよみがえってくるようで。もちろん、私は今でもビートルズの音楽が好きだ。ここ10年はブラック・ミュージックばかり聴いているけれど、ビートルズの音は独特で、彼らにしか出せない音だと思う。メンバーが欠けてしまった今では、永遠に出せない音だ。さらに彼らは、彼らの人生そのものを「映画」にしてしまったので、自分が作る映画の中に、あえてビートルズという個性を取り入れるだけの勇気がないのだ。これが二つ目の理由。そんな勇気ある監督の、勇気が実ったのではないかと思える映画がある。
一つは、ジョージ・ロイ・ヒル監督の「ガープの世界」。ジョン・アーヴィングの小説が原作で、ロビン・ウィリアムズ演じるガープの、波乱にとんだ奇妙な人生が淡々と語られる。そのオープニングとエンディングに流れるのが「When I'm Sixty-four」。丸々とした赤ちゃんが幸せそうに笑いながら宙を舞う映像に、ポール・マッカートニーの歌声が重なる。「一緒に年をとろうよ。64才になっても、君を愛すよ。だから君も僕を愛しておくれ」絵に描いたような幸せな人生を望む歌詞が、観終えた後に皮肉として響く。しかし、それは心地よい皮肉である。ガープの笑いながら泣いているような、泣きながら笑っているような、あの表情にも似た感覚。ガープの人生は、グレン・クローズ演じる母親が瀕死の負傷兵に乗っかったことによって幕をあけた。すでに「When I'm Sixty-four」は夢でしかない。幸せの後には不幸が必ずやってきて・・・そんな繰り返しの中で、ガープの人生は幕をとじる。
でも、何なのだろう、この心地よさは。マイナスをプラスに変えてしまう心地よさなのか。いや、「悲惨な人生だったけど、生まれてきてヨカッタよ」と思える心地よさなのかもしれない。
ポール・マッカートニーがこの曲を書いたのは20代。結婚もしてなかったし、子供もいなかったときだ。ビートルズをよく聴いていた時期は、あまり意識したことのない曲だったけど、「ガープの世界」と重なってから、また子供を産んでから、イメージがガラリと変わった。私が64才になったとき、どんな出来事が待っているのだろう。歌詞のように、3人の孫に囲まれてパートナーと一緒に笑っている?それとも・・・?しかし、これだけは言えるだろう。これから先、どんな人生の中でこの曲を聴いても、ポールが描いた「When I'm Sixty-four」の風景はきっと色あせないだろうと…。もう一つのビートルズが流れる映画は、スティーヴン・フリアーズ監督の「プリック・アップ」。60年代のロンドンを背景に、ゲイのカップルの人生が描かれたイギリス映画だ。ビートルズ映画の脚本の話が舞い込んだりといったビートルズ絡みのエピソードもあるが、曲が流れるのはラストの葬式シーンのみ。それも「A day in the life」の一部だけだ。監督がこの曲を使った意図はよくわからないけれども、アノあまりにも有名なラストの音が、愛と世間の狭間で苦悩したゲイの男たちの最期によく似合っていた。ジョン・レノンの歌詞は実に淡々としている。新聞に載っていた記事の話。テレビでやっていたニュースの話。意味があるのかないのか、彼独特の言葉遊びなのか。いや、歌詞を分析しては「A day in the life」の世界は壊れてしまう。人生の或る一日の出来事が、「プリック・アップ」の二人の人生をしめくくる。もしかしたら一日と一生涯って同じ意味なのかもしれない。
「A day in the life」は、私の中で特別の位置をしめる大切な曲で、「プリック・アップ」を観終えた後もその位置は変わらない。ただ、自分の葬式に「A day in the life」が流れるのは魅力かも…なんて思った。