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塗壁


塗壁

 柳田国男の「妖怪談義」によれば、塗壁は筑前(福岡県)遠賀郡の海岸に出たことがあるという。夜道を歩いていると急に行く先が壁になり、どこへも行けなくなってしまう。棒で下を払うと消えるが、上のほうを払ってもどうにもならない。
 僕も第二次大戦中、南方で偶然これと同じものに出会ったことがある。不意に敵に襲われて、ひとり暗いジャングルを前へ前へと進んだのだが、あるところで前に進めなくなってしまったのである。押してみるとコールタールを固めた感じのもので、右に行っても左にまわっても前方へ進むことができない。もちろん、前は真っ暗でなにも見えない。なおもがむしゃらに前へ行こうとするのだが、なんとしても進めないのだ。途方に暮れるというのはこのことだろう。その場へ腰をおろしてひと休みしたのち、僕はもう一度進んでみた。すると不思議なことに、今度は何事もなく進むことができたのである。どうやら、一服したのがよかったらしい。
 塗壁という妖怪の類は、気が動転したようなときに現れる妖怪のようである。

解説 水木しげる